言葉にして伝えるということが私は苦手だ。
それに加えて人に心を開けるのも遅いので、「物静かな人」あるいは「何を考えているかわからない人」という印象を与えることが多いだろうと思う。
心を開いた人には、話したいことがたくさんあるし、多分私は変わった感性をしていて面白いらしく、印象と違ったなどと言われることもある。
働き始めてからより痛感しているが、私は自分の思いを伝えるというのが苦手で、この原因は大きく3つあると思っている。
1)相手のことを含め、色々なことを考えすぎる。
今は全然ましになったけれど、「この話題は相手にとって面白いのかな。」とか「今話しても大丈夫なタイミングかな。」とか「私が今話そうとしていることは、心の底から本当にそう思っているのかな。」とか、話す前に色々なことを考えてしまって、結局口にできないことが多いように思う。
2)私は、純粋で素直な人間な方だ(ったという方が正しいかもしれない。今は頑固さが滲み出ている気がする...)。だから、これまで人に利用されているような感覚になったことがあり、そのせいもあってか、人に心を開けるのが遅い。
この人は信頼していい人なのかどうか、というのをずっと吟味しているように思う。
特に、今ドイツで働いている会社では陰口をよく耳にするので、誰がどう思っているかわからず、安心して会話することができないし、心の扉がずっと閉じていた。
3)いい人に見られたい。できる人でありたい。
(人に心を開けるのが遅いのは、このせいもあると思っている。いつもいい自分を演じていなければならない気がしていて、駄目な自分を知ってくれる人はいないと感じることもあった。)
例えば、本音では引き受けたくないことも引き受けてしまう。本当は負の感情を抱いていても、それとは逆のような振る舞いをしたりする。
これが一回ならばいいのだが、何回もの我慢が積み重なって糸が切れてしまったり、相手に対して恨みのような感情を抱くようになってしまうことがある。
日本の会社を退職する時に、ずっと溜め込んでいたものを上司に吐き出したことがあったけれど、その時、こんなに楽になれるもんなんだ、とびっくりした。
とんでもない量のストレスが、一回話しただけでびっくりするほど飛んでいってしまった。
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それでもまた、今ドイツで職業訓練を初めてまた同じような状況に陥っている。
言葉にできず溜まりにたまったものを抱えきれなくなった。張りつめていた糸が切れた。そんな感じだ。
日本で働いていた時と違うのは、日本での仕事は、自分で選んで入りたくて入った会社だったし、嫌なことがあっても自分が決めた期間までは続ける覚悟があったこと、仕事仲間に恵まれていたことだ。
だから、どんなにつらくても続けられていたと思うし、今は会社に感謝している。
それが、こちらの会社は、私自身が選んだものではなく紹介していただいたところで、まず、私の性格上自分で決めたものでないと納得できないのに、そうしてしまったのが間違いだった。
それから、申し訳ないのだが、仕事仲間に対して、もちろん全員ではないがこの人達のために頑張りたいと思えないことが多い。
利用されていると感じることも多かった。
ただ、その負の感情を、こうしてほしいという思いを上司に伝えられていたら、変わっていたことがあったのかもしれないと思う。
最近、職場変更をしようとしていることを何人かの同僚に話したら、その同僚達の優しさに気付くことができた。
もちろん本音のところはわからないのだが、私の思いを理解してくれる同僚がいて心の荷が少しおりた。
心の扉を開けるレベルというのを下げて、もう少し早めにもっと話していたら、変わったことがあったのかもしれないな、と。
それでも、私の気持ちはもう新しいスタートに向かっている。
私は、どこに行っても変われないのかもしれないな、という絶望感にとらわれることがある。
でも、気持ちを入れ替えて、きっと少しずつ自分を変えることができる。