パティシエ見習い in ドイツ

ドイツのケーキ屋で見習いしてました。日々のつぶやきと製菓・カフェにまつわる情報の記録。

願いがいくつも叶っていた/これからの私をどう生きる

なんだか人生がもうすぐ終わってしまうんじゃないかって。

最近日々の中で感じる幸せが多すぎる気がする。

 

こんなに沢山幸せをもらってしまって、

いつかつけが回ってくるんじゃないか。

 

とか、

穏やかな日々はずっと続くわけではないから、

いつか暗闇に落ちる日々がまた来るのだろう。

(昔の私みたいに弱くはないから、きっとうまく対処できると信じつつも)

そう思うと、少しだけ不安になることがある。

 

でもそれは、

以前は目を向けることができなかった幸せに、

意識が向けられるようになったのかもしれないし、

 

過去受け取ることができなかった幸せを掴もうと、

過去の学びから、自分の内面、もしくは自分の生き方を変えてきたからなのかなと思う。

 

ドイツに住んでいた頃、日本に帰ったらやりたいと思い描いていたことが、いくつもあった。

 

例えば、

 

・日本の美味しい珈琲屋さんに行く

・日本語の小説を沢山読む

・日本食を味わう(日本の食材で作るご飯を楽しむ)

・丁寧な一人暮らし

・エレクトーンを弾く

・日本のファッションやメイクを楽しむ

・日本の四季を楽しむ

 

(それぞれについて深く語ると長くなってしまうけれど、ひとつ言えるのは、海外に出て気づいた日本のここが好き!と自分のこれが好き!があるということ)

 

最近、これらのうちの多くが実現していることに、はっと気づくことがあった。

思い描いた理想にまだ100%は届いていないけれど、形になっている。

私が今幸せを感じている大きな要因はこれだ。

 

自分の思い描く姿を手にするにあたって、

捨てなければいけないことも、

自分の意識を変えなければいけないこともあったのだから、

いとも容易く叶ったわけではない。

 

だけど、がむしゃらに手に入れたかといえばそうではない。

 

数年前までの私は、目標に向かって一心不乱に進み、達成するのが幸せだと思っていた部分が大きい。

達成すること、だけではなく、そこに達するまでの努力や成長も含めなんだろうけれど。

 

そんな私の価値観がここ数年で、かなり変わってしまったように感じる。

日常の中で感じる好きの瞬間。穏やかな時間。

それがとてもとてもありがたくて、幸せに思う。

 

とはいえ、私の中には、

次の目標に向かって、エネルギーを爆発させたい思いが、また強くなってきていて、

自分はやはりそういう人間なのかなと思いつつ、

今はエネルギーを向ける先が定まりきらず、くすぶっている感じだ。

 

でも、最近ようやく少しずつ見えてきた。

的が定まったら、

がむしゃらに生きる幸せと、

ゆるりと生きる幸せとを、

うまい具合にいただきながら、

自分の人生を噛みしめてゆきたい。

 

今まで、ぼんやりと自分の中で描いている世界は、時間はかかっても実現させてきた気がする。  

だから、今私の中で少しずつ見えてきた理想像が、いつかまた事実となりますように。

 

ここで、「~になりますように。」と書くと、そうさせるための努力もせずに実現するかよ!と言われると思いますが、

その気持ちは、がむしゃらとゆるゆるのバランスということにさせてください。

 

当たり前だと思っていることは、きっと当たり前じゃないんだ。