私達人間が生きる、それぞれの人のそれぞれの複雑な感情が錯綜する世界では、生きるのを放棄したくなることもあるだろう。
そんな世界を生きれるのも人間ならではなのだから、楽しいと思えたらいいのだけれど。
私たちが目にしているその人の姿は、目にしたまま受け取っていいのだろうか。
そして、その目にした姿から自分が想像する相手の気持ちは、きっと自分が勝手に作り出しているものだ。
私達が受け取った相手の姿が、その心とは裏腹だったとしたら、その時点で虚構がひとつ出来上がっている。
そのうえ、その姿から、相手の心情や背景を想像して、自分なりに解釈するんだけれど、これは虚構に虚構を重ねているようなものじゃないか。
そんなことを考え出すと、もう人間の複雑な世界には深入りしないように、自分の心にバリアをはる。
バリアをはれば、自分を保っていられるから楽だ。
けれども、虚構に虚構を重ねた世界で、できれば真実をわかってあげたい。真実をわかってほしい。
そう思うことは、きっと自分のエゴなんだろうとも思う。
だけれど、生み出せる真実が増えるほど、人生を変えることができるかもしれないと思う。
真実を生み出す方法は、言葉で表現することだろうか。
とはいえ、言葉は便利でもあり、扱いづらい。
言葉で伝えることで真実がねじ曲がり、誤って伝わることもあるだろう。
でも、もし人生をよりよい方向に変えられる可能性があるのだとしたら、できる範囲内で言葉で表現していきたい。
そんなことを思いながら、
言葉で表現することができなければ、音楽に頼ろうか。
という逃げ道も考えてみる。