病んでいるわけじゃない
ぐるぐる思考は昔からよくあって
ぐるぐるを整理したくなった
1ヶ月ほど前から今日まで、沸き起こったぐるぐるを、言葉に少しずつ書き落としていた
瞳がかすむ
目の奥の輝きはどこに行ってしまったのか
心の部屋は狭い
心の温かさや繊細さはどこに行ってしまったのか
得ようとすれば失うものがあって
伸ばそうとすれば磨り減るものがあって
変わりゆく自分を受け入れなければいけないのがつらい
生きやすくなる術なのかもしれないけれど
それでいいのだろうか
自分のことを自分で理解できないことも多いくせに
自分の真実を知っているのは自分だけと思う頑固さが強くなっている
自分に必要なものを取捨選択するには、きっとデータベースが少なすぎるんだ
一度自然の中で空っぽになりたい
雑音が多すぎる
太陽に照らされた温かい空気をめいいっぱい吸い込んで
濁った塊を吐き出したい
そしてまた青い空を見上げて
澄んだ気持ちで進みたい
口角をあげて柔らかく微笑んで歩みたい
人間としてしか生きていないからわからないけれど
感情を持つ人間世界を生きるのには一苦労だ
魚には感情ないって読んだことあるけど本当だろうか
感情あるから色々生み出せるものがあるんだと思いたい
繊細な心には
年を取るごとに蓋をしていかなければならなくなるんだろうか
強くなるために
楽に生きるために
すり減らしてきた繊細さの欠片たちが
今は恋しい
きっと生き苦しくなってしまう
でも大切なもの
本当の私がわからない。
どれも本当の私?
どれが本当の私?
私はきっと変わりゆくもので
成長のために変えてゆくもので
だけど今の私は不安定だ
それでも
「私がわからなくても、私をわかっているのは私」
という矛盾を強く胸に刻んで
人は必ず孤独を感じるなら
1人で感じる孤独が一番軽い
そう思う
5年前くらいに感じたことが
数日前にまたふと小さな衝撃をもって
私にふってきた
後悔ないように生きてる?
私の年齢に×2すれば
60歳を越えるんだ
人生の半分くらいが終わったと思い
それが少し怖くなったのは
自分の生き方が
納得できるものではないから
どこでいつどんな風に時間という決まりが作られたのか
1日は24時間、1時間は60分などと決められたのか知らないけれど
限りある時間
今日は過ぎれば昨日
一瞬一瞬が
その一瞬限りだということ
いかに忘れて生きているんだろう
人間という言葉の「間」に含まれた意味な何なのかと最近ふと思った
人は1人で生きていけない
それはそうなのだろう
人間として生きているからこその苦しみと喜びを感じながら
だけど
1人で生きることの大切さも改めて胸に刻みながら
私をどう生きていこうか